「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」Alain Robbe-Grillet Retrospective

コメント

誰かが「私は嘘をつく」といったら、彼または彼女のいうことはすでに真偽を超えている。ロブ=グリエの映画の面白さは、あくまでそのとらえどころのなさにある。しかも、その画面が曖昧とはとても思えぬほど鮮明なところに、つきぬ魅惑が脈うっている。

蓮實重彦(映画評論家)

何に欲情し、何に永遠の断絶を感じるのか…
ロブ=グリエに触れたとき、いつも自分のいる位相が激しく揺らぐ。
その快楽の為に、独りで黙って本を読み、映画を観る。
それに勝る神秘体験は、残念ながらこの世界にはない。

中原昌也(ミュージシャン/作家)

この回顧展によって、ついにアラン・ロブ=グリエは、驚異的な映画作家としての全貌をあらわにするだろう。
それは、前衛・過激主義・アヴァンギャルドと、幻想・唯美主義・マニエリスムとを直結するという、世にも独創的な芸術家の姿である。
その想像世界は、ブニュエルやフェリーニのそれに匹敵する外連味をもって輝いている。

中条省平(映画評論家)

ロブ=グリエ映画は、『快楽の漸進的横滑り』に<漸進的(英訳でプログレッシブ)>を象徴的に組み込んだように、徹頭徹尾<プログレ>である。ロックのプログレではなく、映画のプログレ。また、SMのロブ=グレ、失礼プログレでもある。自分でなにを言ってるかわからないが(消しゴムの必要)、まあ、当たらず遠いのがロブ=グリエだ(嘘)。

滝本誠(美術・映画・ミステリ評論家)

日本人の映画鑑賞能力と、アラン・ロブ=グリエの作品は、かなり相性が悪い。理解できない=難解と言っているのではない。フランス文化の大半を上手に旨く喰ってきた日本人に、「喰えねえフランス」という側面がまだまだあることを、ロブ=グリエの作品群は異様なまでの真摯な自然体で伝え続けている。

菊地成孔(音楽家/著述家/映画評論)

その昔、ロブ=グリエの長篇小説『覗く人』をフーフー言いながら読んだ私は、彼の映画も、スゴいけど退屈な実験映画なのではないかと尻込みしていた。ところが、『ヨーロッパ横断特急』を見て驚いた。面白い!メタフィクションとは、鑑賞者も制作者側に巻き込んでゆく、今っぽいインタラクティヴな手法なのだと再認識。まずはこれから。

平野啓一郎(作家)

アラン・ロブ=グリエの映画の中で主演女優はささやく。「愛は滑り落ちる。」と。
自由すぎるロブ=グリエの世界では、愛もセックスも男も女も、そして映像の表現すらも、自由奔放に滑り落ちる宿命の中にある。
彼の映画からきこえてくる悲鳴とささやきは、それがたとえ崖の上であろうと、恋人たちのよだれだらけのベッドの上であろうと、滑り落ちてゆく快楽に全身で包まれているのだ。

園子温(映画監督)

どこかあやしげな第七芸術、つかみどころのない総合芸術としての映画は、ロブ=グリエにとってはコンセプチュアル・アートよりも工芸品に近いなにからしい。だからここでは、意味を探してきて作品を理解しようとする真似は避けた方が良いようだ。むしろそのかたちや色を愛でているうちに、お馴染みの映画に代わる別の「映画」が立ちあらわれるかもしれない。

遠山純生(映画評論家)

ロブ=グリエは選択しない。このショットもあのショットも、撮って、たんに並べてしまう。最初のうち、頼まれてもいないのに私たちはそこからひとつの「筋」をひねり出そうとするかもしれない。しかし彼の映画には「本当と嘘」があるのではなく、「嘘と嘘」だけがあるのだ。それらは重なり、すれ違いながら一個の輪郭を描く。「筋」ではない一貫性。そこに賭けられた「本当」こそが、彼を映画に向かわせたのではないだろうか。

福尾匠(批評家・哲学研究者)

アラン・ロブ=グリエはアマチュア映画作家である。その言葉の意味する最良の意味において。彼が望むのは自らのファンタジーをスクリーンに投影することであるが、そのために必要な映画の形式を彼は知らない。あるいは暴力的に無視する。結果として表れるのは、彼の夢想によって揺るがされた映画であり、映画によって奇形化された奇形的な彼の夢である。両者のあわいに生じるものを私たちは官能と呼ぶが、それは均質な情報とむき出しのポルノグラフィに埋め尽くされた現代を生きる私たちにとって、きわめて貴重な体験をもたらすものだろう。

大寺眞輔(映画評論家)

伝統的な小説形式を乗りこえ、文章表現の極北を目指したヌーヴォー・ロマンの冒険王ロブ=グリエ。「難解」と喧伝されるばかりのこの天才が、実はミステリーやSFとも親和性の高い資質の持ち主だということを教えてくれるのが、今回の上映6作品だ。映画館を出たその足で、あなたが手に取るべきは、オイディプス神話を下敷きにした推理小説のパスティーシュ『消しゴム』(光文社古典新訳文庫)。映像から活字へ、活字から映像へ。一生を逸脱と変奏に捧げたロブ=グリエの仕事と、この機会に出合ってほしい。

豊崎 由美(書評家)

え、なんだこの映画?可愛いフランス人のオシャレ映画なだけじゃないのかよ‼
あまりに面白くてお腹痛くなるくらい笑った、綺麗な女優イケメンの俳優ばかり、ここは一体どこだろう、いま何が起きているんだろう。誰も教えてくれないが、それすら愛情に感じる。
この映画観なくてもいいかも、と思った瞬間もあった。でも私は一生懸命見た。
彼のかけらを集めるために6作品一気に見た。止まらなかった。

柳英里紗(女優)

自分がいる場所・時間の軸が歪みだし、全てが空っぽの遊戯のような世界に分け入っていく不思議さ。画面を見ていたはずが知らぬ間にその中に取り込まれていることに気がついたその途端、その自分をまた見ている...幾重にも折り重ねられた多層世界の中で麻痺にも似た感覚を得ながら尚思考は冴えていき、既にあったイマージュが次々と更新されていく。本来眼前に立ち現われ現在形しかないはずの映画なのに、現実も虚構もないまぜにする、ある意味最も文学的なのがアラン・ロブ=グリエの映画だ。

羽田野直子(脚本家)

(敬称略・順不同)

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