「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」Alain Robbe-Grillet Retrospective

解 説

アラン・ロブ=グリエの世界 中条省平

アラン・ロブ=グリエが最初の小説『消しゴム』を刊行したとき(1953年)、ロラン・バルトが「対物的(オブジェクティフ)な文学」という評論を書いて、この小説を論じました。バルトの主張をごくごく大ざっぱにまとめると、こうなります。
それまで近代のリアリズム小説は、人間を主体として描いてきた。しかし、『消しゴム』は、人間を客体=物(オブジェ)にしてしまい、その描写から人間的な意味を奪ってしまった。そして、そこでは、物の視覚的描写が徹底しておこなわれる。ロブ=グリエは、この世界のなかで、目に見えない人間の内面を特別扱いすることなく、対物(オブジェクティフ)レンズを通すように、目に見える物だけを描きだすのだ……。
そうしてバルトはロブ=グリエを「人間主義者」の対極にいる「事物主義者」だと評しました。その「事物主義者」としてのロブ=グリエの特徴がもっともよく表れた文章は、『消しゴム』のなかの有名なトマトの描写でしょう。そこでは、四つ切りにされたトマトの断面が、微に入り細をうがって説明され、読者にかえって異常な印象をあたえます。ロブ=グリエの小説は「視線派」とも呼ばれましたが、事物の視覚的な描写は、ロブ=グリエ文学の本質的な特徴なのです。
ここにロブ=グリエが文学から映画に向かった大きな動機のひとつがあるといえるでしょう。つまり、文学では、登場する人間や事物がそこに存在することの意味を作家の言葉で説明しなければなりません。しかし、映画ならば、それらに単にレンズを向けるだけでいいのです。映画の画面には事物や人間がそのまま存在していて、意味づけは必要ないからです。映画とは、最初から「事物主義」で「視線派」のメディアなのです。

image

とはいえ、ロブ=グリエは最初から監督として映画を撮ることができたわけではありません。まずは、自分のいちばん得意とする言葉を通じて映画と関わることになりました。『去年マリエンバートで』(1961年)の脚本を書いたのです。この映画はアラン・レネによって監督されましたが、ロブ=グリエは脚本だけでなく、詳細な撮影台本まで書いていて、自分の映画第1作と見なしているのです。もちろん最終的な完成形はレネの決めたもので、とくに音響設計と音楽と俳優の演出は、ロブ=グリエの考えとはまったく違うものになりました。しかし、ここには、その後のロブ=グリエの映画の基調となるものをたくさん見出すことができます。
なかでも重要なのは、記憶の不確定性というテーマでしょう。主人公の男と女は最後まで、去年マリエンバートで出会ったかどうか分からないのです。
 
ロブ=グリエは、自分ですべてを決定できる最初の監督作(彼自身は「二作目の映画」と呼んでいる)『不滅の女』(1963年)で、やはりこの記憶の不確定性という主題を展開しています。「不滅の女」という邦題はいささかロマンティックに過ぎますが、フランス語原題はもっと散文的に「死なない女」という意味です。つまり、主人公の男はイスタンブールで一人の女に会い、彼女に惹かれますが、彼女は事故で死んでしまいます。しかし、死んだはずの女がふたたび現れて、この女は死ななかったのか、死後の亡霊なのか、それとも男の記憶が夢か幻だったのか、すべては判然としなくなってしまうのです。これはもはや、記憶の不確定性というよりも、存在そのものの不確定性というべき事態でしょう。こうしたドラマの夢幻的な曖昧さが、ロブ=グリエの映画に一貫する特色なのです。
続いて撮られた『ヨーロッパ横断急行』(1966年)は、映画作りを主題にしていますが、その映画監督をロブ=グリエ自身が演じ、さらには、それと並行して起こる麻薬の運び屋の事件が、この映画のなかで演じられるはずの虚構なのか、それとも現実のできごとなのか、やはり判然としなくなっていきます。この作品では、存在の不確定性という主題が、映画という虚構のなかでこそ最も確かに視覚化されるという逆説が露わになっているのです。

image

次の『嘘をつく男』(1968年)は、すでにタイトル自体が意味深長です。じっさい、主人公のボリスはたえず嘘をつき、自分でも嘘つきだと認めています。そもそも、ボリスは映画の開巻まもなく第二次大戦中のドイツ軍ふうの兵隊たちに追われて射殺されたはずですが、何事もなかったように立ちあがって自己紹介をおこない、ドラマを進行させていくのです。このように、現実と思われた事柄があっさりと幻想や夢や不確かな記憶や虚構として処理されたり、虚構だと思われた事柄が現実になってしまうという、現実と虚構の反転、相互浸透の意外さこそ、ロブ=グリエの映画の面白さなのです。
 
ロブ=グリエの映画が描きだす場面は、純粋に主観的な想像の世界ですが、その想像の世界は、映画のなかでは、まぎれもなく客観的に実在するイメージとして提示されます。
『気狂いピエロ』を見た批評家が監督のゴダールに「あなたの映画では大量に血が流れますね?」と問いかけたとき、ゴダールは涼しい顔で「いいえ、あれはペンキです」と答えましたが、ペンキという客観的実在が流血という想像上のできごとの背後に姿を消し、主観的な流血のイメージが逆に客観化されてしまうことこそ、映画の魔術なのです。ロブ=グリエは、この魔術を最大限に活用し、現実と虚構をたえず反転させ、映画にしか不可能な戯れをおこなっているのです。 その意味で『エデン、その後』(1970年)は模範的な作品です。なぜなら、この映画で起こるできごとはすべて登場人物たちが演じるお芝居とも見られるからです。
しかし一方で、この映画はその徹底した虚構性に立脚して、ロブ=グリエの幻想世界の独自性を思いきり視覚的に鮮明に打ちだし、新たな段階に突入した作品といえるでしょう。
まず、この作品はロブ=グリエの初めてのカラー映画で、まばゆい純白と、鮮血と鮮血を思わせる真紅とのコントラストが、ロブ=グリエ独特のキッチュでポップな美学を全面的に展開しています。
もうひとつは、ロブ=グリエの性的ファンタスムを全開にしたことです。これはおそらく作者個人の嗜好と深く結びつくことですが、ロブ=グリエ夫人のカトリーヌはBDSM(緊縛懲罰・支配隷属・サドマゾヒズム)と呼ばれる世界でSMパーティを主宰する女王的な存在であり、名高い高踏的なハードコアポルノ小説『イマージュ』の匿名作者なのです。しかし、彼女をこの世界に導いたのは、夫のロブ=グリエだといわれています。『ヨーロッパ横断急行』や『嘘をつく男』にも見られたサドマゾヒズム的な耽美主義がロブ=グリエの想像世界で決定的な重要性をもっていることが、『エデン、その後』で明らかになりました。
3番目に注目すべきは、活人画という方法への執着です。活人画とは、名画の情景を現実の舞台装置でそっくりに再現し、そのなかで本物の人間たちが絵と同じ不動のポーズをとるという見世物です。すでにロブ=グリエの映画第1作である『去年マリエンバートで』で、この活人画の場面が演じられていました。なぜロブ=グリエがとくに活人画という手法を採用するのかといえば、絵画の情景という虚構のできごとを現実の装置と本物の人間によって演じるという逆説に惹かれるからでしょう。しかも、アクションの芸術とされる映画において、わざわざ登場人物たちに不自然な不動の姿勢を強いるのです。その儀式には、サドマゾヒズムと通じる強制と隷属の遊戯性が感じられます。

image

『快楽の漸進的横滑り』(1974年)は、『エデン、その後』で開花したロブ=グリエの映像美学がさらに過激に追求された作品です。誰が犯人か分からないミステリーという点では、小説の処女作『消しゴム』への回帰という側面もあり、相変わらず、流血とサドマゾ趣味も十分に盛られ、さらにミシュレの『魔女』に着想を得たという中世カトリックの悪魔主義的なモチーフも新たに加わって、ロブ=グリエ以外のどんな映画作家にも創造できない特異な映像世界がくり広げられています。あまりに個性的な美学に染めあげられているため理解者はマイノリティになるかもしれませんが、ここには、フェリーニやブニュエルにも比肩する独創的な幻想の世界が作りあげられています。
『囚われの美女』(1983年)は、現実と虚構のトロンプ=ルイユ(騙し絵)という手法を貫いたマグリットの絵画にインスパイアされて、ロブ=グリエがみずからの映像世界を自己模倣しつつ、そこに異化的な距離を置く、重層的マニエリスムともいうべき境地に到達した作品です。コクトー監督の『美女と野獣』を撮った名カメラマン、アンリ・アルカンが凝りに凝った色彩と陰翳の空間を実現していて、ロブ=グリエの唯美主義をほとんどパロディすれすれの幻想の水準にまで高めています。

ロブ=グリエの映画世界は、これから発見されるべき未知の領域に属しています。今回公開される6作を通して、その驚くべき多面性が一挙に明らかにされるでしょう。

pagetop