Staff & Cast

ミシェル・ルグラン MICHEL LEGRAND

1932年2月24日パリ生まれ。父レイモンは指揮者兼作曲家で、姉クリスチャーヌは声楽家という音楽一家で育つ。歌手のバンジャマン・ルグランは次男。幼少からピアノを学び、父のバンドでピアノを担当。
1933年パリ国立高等音楽院に入学。和声法とピアノを専攻し、作曲法をナディア・ブーランジェに学ぶ。
50年代初頭、ディジー・ガレスピーに楽曲提供し、ジャズ・ミュージシャンとしてデビュー。58年にはマイルス・ディヴィス、ジョン・コルトレーンらとコラボしたアルバム『ルグラン・ジャズ』を発表。一方、映画にも興味を持ち、55年『過去に持つ愛情』(ヴェルヌイユ)で本格デビュー。レシャンバック『アメリカの裏窓』(58)の成功以降、映画音楽の依頼が殺到、ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの一連の作品を手掛け、ドゥミとは『ローラ』以来コンビを続けた。『シェルブールの雨傘』では数々の音楽賞を受賞し、アカデミー賞音楽賞・主題歌賞にもノミネートされ、名声を高める。以後、アメリカにも進出し、ノーマン・ジェイソン『華麗なる賭け』(68)で音楽賞、ロバート・マリガン『おもいでの夏』(71)で音楽賞、バーブラ・ストライサンド『愛のイェントル』(83)で歌曲賞と、3つのオスカーを獲得。また、フランシス・レイとの共作『愛の哀しみのボレロ』(81)ではセザール賞受賞。グラミー賞も71、72、75年にインストゥルメンタル作曲賞、72年ボーカル・アレンジ賞、75年にビッグ・バンド賞と5度受賞。

ラウル・クタール RAOUL COUTARD

1924年9月16日パリ生まれ。写真を学ぶため国立科学学校(ENSPEC)に入学するも、家庭の経済事情で断念。45年フランス軍に志願し、52年から54年までインドシナ戦線で写真班として従軍。退役後、雑誌「ライフ」「パリ・マッチ」「Rader」等の写真特派員として56年まで活動。帰国後、イタリアでルチャーノ・エンメル『Paradiso terrestre』に参加。続いて、戦時中写真班の同僚だったピエール・シェンデルフェール作品で撮影監督となり、以後彼とコンビを組む。『悪魔の通り道』(58)でプロデューサーを務めたジョルジュ・ド・ボールガールに誘われ、59年『勝手にしやがれ』でゴダールと組み、その斬新なカメラワークによってヌーヴェル・ヴァーグの象徴的存在となった。以来、ゴダールやトリュフォーの作品を一手に手掛ける。67年、ゴダールが『中国女』『ウィークエンド』以後商業映画を放棄したことでタッグは解消。同じくして監督業にも進出し、70年『ホア・ビン』でジャン・ヴィゴ賞、カンヌ国際映画祭カメラ・ドール受賞、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。78年、久しぶりに組んだシェンデルフールの戦争大作「クラブ・タンブール」でセザール賞撮影賞を受賞。82年には『パッション』で再びゴダールと組み、続く『カルメンという名の女』(83)ではベネチア国際映画祭の芸術貢献賞を録音のミュジーとともに受賞。2001年フィリップ・ガレル『白と黒の恋人たち』を最後に引退。晩年は、自身が撮影した作品のデジタル修復を監修、『ローラ』や『突然炎のごとく』などを手掛けた。2016年11月8日、死去。享年92歳。

ジャン・ラビエ JEAN RABIER

1927年4月21日生まれ。50年代、ジャック・デュポン監督の短編作品で撮影を担当。クロード・シャブロル監督『美しきセルジュ』(58)、『いとこ同士』(59)ではアンリ・ドカの撮影助手を務め、その後『ボヴァリー夫人』(91)まで、シャブロル作品の撮影を一手に務める。61年、ヴァルダ『5時から7時までのクレオ』で撮影監督として一本立ちし、続けて『幸福(しあわせ)』(64)も担当。ドゥミ作品では、『天使の入江』(63)『シェルブールの雨傘』(64)の撮影監督を務めた。1997年10月21日死去。

アヌーク・エーメ ANOUK AIMĒE アヌーク・エーメ ANOUK AIMĒE

1932年4月27日生まれ。本名フランソワーズ・ソリヤ。両親はともに俳優。46年から、オペラ・ド・マルセイユでダンスを、ルネ・シモンの演劇学校に通う。同年アンリ・カレフ『密会』でデビュー。ジャック・プレヴェールが当て書きで脚本を書いたアンドレ・カイヤット『火の接吻』(48)で一躍人気を博す。57年には、ジャック・ベッケル『モンパルナスの灯』ではモディリアーニの妻を演じた。続いて『ローラ』、フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』(60)、『8 1/2』(63)などに出演。クロード・ルルーシュ『男と女』(66)でヒロインを演じ、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされる。70年の結婚を機に一線を退くも、76年ルルーシュ『愛よもう一度』で復帰。80年にはマルコ・ベロッキオ「SALTO NEL VUOTO」でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞。

ジャンヌ・モロー JEANNE MOREAU ジャンヌ・モロー JEANNE MOREAU

1928年1月23日生まれ。レストラン経営者でフランス人の父、元ダンサーでイギリス人の母のもとに生まれる。18歳の時に見た舞台で演劇の世界に魅了され、女優を夢見るようになる。両親の反対を押し切り、フランス国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)に入学。卒業後、モリエール劇団に入り演劇活動を開始。同時に映画にも参加しはじめ、マルク・アレグレ『巴里の気まぐれ娘』(53)、ジャック・ベッケル『現金に手を出すな』(54)などに出演。57年、ルイ・マル『死刑台のエレベーター』のヒロインに抜擢されると一躍人気女優に。続いて『恋人たち』(58)、カンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞した『雨のしのび逢い』、61年にはトリュフォー『突然炎のごとく』、63年『天使の入江』などで印象的なヒロインを演じ、フランスを代表する女優として確固たる地位を築く。その他『エヴァの匂い』(62)、オーソン・ウェルズ『審判』(63)、トニー・リチャードソン『マドモアゼル』(66)、ファズビンダー『ケレル』(82)、リュック・ベッソン『ニキータ』、アンゲロプロス『こうのとり、たちずさんで』(91)など、国内外問わず巨匠の作品に多数出演。70年後半からは『ジャンヌ・モローの思春期』(79)、『リリアン・ギッシュの肖像』(83)などで監督業にも進出。映画への貢献が評価され、2000年にベルリン国際映画祭金熊名誉賞、2003年カンヌ国際映画祭名誉パルム・ドールを受賞。近年ではイルマル・ラーグ『クロワッサンで朝食を』、オリヴェイラ『家族の灯り』(共に12)に出演している。

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