1920年1月20日イタリア・リミニ生まれ。1993年10月31日ローマにて心臓発作のために亡くなる。
 アドリア海に面した北イタリアの保養地リミニに生まれたフェリーニは、少年時代より絵を描くのがうまく、近くにあった映画館フルゴール座のために俳優たちの似顔絵を提供するなどしていた。その後、青年時代を経て、人気風刺雑誌『マルカウレリオ』のために戯画やコラムなどを執筆し、生計を立てるようになる。また、この時期、のちに『無防備都市』などで活躍することになる俳優のアルド・ファブリーツィと知り合い、ラジオ番組の台本なども書くようになった。生涯の伴侶となるジュリエッタ・マシーナと出逢ったのも、台本を書いていたラジオ局でだった。さらに映画の脚本にも手を染め、ロベルト・ロッセリーニ作品『無防備都市』('45)の脚本に参加したのち、『戦火のかなた』('47)、『アモーレ』('47)では助監督も務める。
 '50年、『寄席の脚光』を仲間のひとりだったアルベルト・ラットゥアーダと共同監督し、デビュー。脚本にトゥリオ・ピネッリ、エンニオ・フライアーノ、そして俳優にはジュリエッタ・マシーナを交えたこの作品は、ミュージック・ホールの一座を主人公にした、まさに映画監督フェリーニの誕生を告げるにふさわしいものだった。翌年には初めての単独監督作『白い酋長』を発表するが、ヴェネツィア映画祭で酷評を受け意気消沈。奮起して撮った'53年の『青春群像』は好評を博し、ヴェネツィア映画祭にてサン・マルコ銀獅子賞を受賞。そして'54年、愛妻ジュリエッタ・マシーナを主演に据えた『道』がヴェネツィア映画祭サン・マルコ銀獅子賞に加えてアカデミー外国語映画賞に輝き、世界的な名声を得る。イタリアン・ネオレアリスモに根ざした社会派的な要素を含みながらも、人間の喜怒哀楽をてらいなく描写 したその作品スタイルは、'57年の『カビリアの夜』へと受け継がれ、独自のスタンスを確立した。
 だが、'60年の『甘い生活』ではそれまでのスタイルを一転させ、妖艶に誇張された女のグラマラスさ、男の願望をさまざまなイコンであふれかえる映像のなかに封じ込め、カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞。'63年の『8 1/2』では映画監督の妄想の世界というべき壮大なごちゃまぜ映像詩の宇宙を完成させ、アカデミー外国語映画賞に輝き、'65年の『魂のジュリエッタ』へとその作風を受け継がせた。また、'72年の『ローマ』では〈フェリーニの〉と形容すべき映像によるローマをスクリーンに現出せしめ、『カサノバ』('76)、『オーケストラ・リハーサル』('79)、『女の都』('80)、『そして船は行く』('83)とフェリーニ・マジックを満喫させる映像世界を堪能させた。ノスタルジックな彩 りにあふれた『ジンジャーとフレッド』('85)を経て'87年の『インテルビスタ』では、自身と映画とのかかわり合いを振り返るように、映画都市チネチッタを案内、永遠の映画への愛を捧げた──。
 また、映画以外にも、得意の絵の才能を生かした絵コンテや画集など、その才能は多岐にわたる。
 フェリーニとの親交が知られる黒澤明監督は、「フェリーニには限りない讃嘆の念を覚える。彼は並外れて独創的な思考やアイディアを視覚化できる才能の持ち主だ」と讃辞をおくっている。


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