『家族の肖像』 デジタル完全修復版 生誕110年 没後40年メモリアル ルキ−ノ・ヴィスコンティ監督作品 美しきものを追い求めよ。ヴィスコンティの絢爛たる世界が、今、ここに甦る。 main image
2017年2月11日(祝・土)岩波ホールほか全国順次ロードショー

    解説

    美しきものを追い求めよ。sヴィスコンティの絢爛たる世界が、今、ここに甦る。

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    18世紀イギリスで流行した<家族の肖像>と呼ばれる家族の団欒画のコレクションに囲まれて、ローマの豪邸に一人暮らす老教授。失われゆくものたちに埋もれ、孤独に生きていた彼の生活が、ある家族の闖入によって掻き乱されていく…。

    1972年、前作『ルートヴィヒ』の完成間際に病いに倒れ、敬愛するドイツの文豪トーマス・マンが息を引き取ったというスイスの病院の同じ病室に身を置いていたルキーノ・ヴィスコンティ監督、その時65歳。ライフワークとしていた諸作品(「魔の山」、「失われた時を求めて」etc...)の映画化を健康上の理由から断念せざるを得なくなった彼が、共同脚本のエンリコ・メディオーリに口にした「単純で簡潔な、一室内で終始する物語。登場人物は二人」というアイデアから生まれたのが本作。美術のマリオ・ガルブリア指揮の下、制作されたスタジオのセット内ですべて撮影、車椅子を操りながら気迫と執念で撮り上げました。

    長年に渡り協力関係にあった名優たちが奏でる、室内楽にも似た名演のアンサンブル。『山猫』で、最もヴィスコンティ自身に近い、と言われた滅びゆく貴族を見事に体現したバート・ランカスターが、ここでもまた、ヴィスコンティ自身の精神的な肖像とも言うべき教授役を味わい深く演じています。
    始めは反目しながらも次第に強く惹かれていく、粗野な面と知性を同時に持つ美青年コンラッドには、公私にわたり監督から寵愛を受けたヘルムート・バーガー。気品あふれる存在感を過去作に焼き付けてきたシルヴァーナ・マンガーノが、貴族ならではの傍若無人さをまき散らす伯爵夫人に扮し、強烈な存在感を示します。回想場面で登場する、クラウディア・カルディナーレ、ドミニク・サンダの特筆すべき美しさに、ため息が漏れることでしょう。

    生誕110年、没後40年を記念して、2016年春から再公開が続く名匠ルキーノ・ヴィスコンティの絢爛たる名作の数々。その掉尾を飾るのが後期最高傑作と謳われる本作です。1978年の初公開時から数えて、実に39年ぶりにスクリーンに甦ります。

    物語

    ローマの高級住宅街。一人「家族の肖像」の絵画に囲まれて暮らす、老教授(B・ランカスター)の静かで孤独な暮らしは、ある日突然の闖入者によって掻き乱される。ビアンカ・ブルモンティと名乗る、美しく気品のある伯爵夫人(S・マンガーノ)とその家族たち、娘のリエッタ、婚約者ステファーノだ。全くその意思の無い老教授を強引に口説き落とし、彼女たちは階上の部屋を借りてしまう。

    実際に階上に住み込んだのは、ビアンカの愛人であるコンラッド(H・バーガー)だった。数日後、勝手に改装をし始めたコンラッド。教授との間に諍いが起こる。誤解が解けた後、教授はコンラッドに、予想もしなかった教養の片鱗を見る。ブルモンティ家との距離が少しだけ縮まり、教授は彼らを夕食に誘う。しかし、彼等は一向にやってくる気配を見せず、教授は一人夕食をとるのだった。

    ある夜半、階上からのただならぬ物音に教授が駆けつけると、何者かが逃げ去っていくのと、怪我をして倒れているコンラッドを発見する。かつて戦時中に教授の母親が、ユダヤ人やパルチザンを匿う為に造った小部屋で介抱をした。また別の夜、書斎から漏れ聞こえる音楽に、教授が様子を見に行くと、若い三人が全裸で踊っている。リエッタの誘いに、教授は苦々しく自分の過去を思い返すしかない。

    教授の元に刑事が訊ねてきた。拘束したコンラッドが、教授の家にいたと証言したからだった。警察から帰って来た教授とビアンカたちの間で、コンラッドを巡り言い争いになり、その後の数日を一人、不機嫌なままに過ごす。コンラッドの拘束は数日で終わり、また階上から物音が響いてくる日々がやってきた。ある日、騒音の文句を訴えたことから、教授はリエッタたちを翌日の食事に招くことになったのだが…。

    Luchino Visconti 監督:ルキーノ・ヴィスコンティ

     1906年ミラノに生まれる。家系は13世紀にまで遡る事が出来るミラノ大公家の血筋。『若者のすべて』にも登場するドゥオモは、先祖が建立したもの。父はディ・モドローネ公爵。母方が大きな製薬会社の為、経済的にも裕福な家庭で育ち、幼い頃から乗馬やチェロなどを習う。一族はスカラ座のパトロンでもあったので、早くからオペラにも親しみ、兄弟たちとコンサートを開いたりもした。父親共々、プルーストの「失われた時を求めて」の熱心な愛読者でもあった。
     反抗心旺盛な青年時代に、放浪の末パリへと渡る。そこでココ・シャネルを介して、ジャン・ルノワールと知り合う。ルノワールの『ピクニック』(36)にジャック・ベッケル、アンリ・カルティエ=ブレッソンに次ぐ、第三助監督として参加し衣装も担当。演出や技法など多くの事柄を学び取った。

     そのルノワールから手渡されたジェームズ・ケインの小説を原作に、処女長編『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(42)を撮りあげる。ネオリアリスモの先駆的作品と賞賛されるが、ファシスト政権下で上映禁止にされてしまう。この後はレジスタンス活動に身を投じて、ついには逮捕されローマ解放の44年6月4日に救出された。40年代後半は、主に演劇活動に重点が置かれた。コクトー《恐るべき親たち》ヘミングウェイ《第五列》アヌイ《アンティゴネ》《ユリディス》サルトル《出口なし》コードウェル《タバコ・ロード》ウィリアムス《ガラスの動物園》《欲望という名の電車》シェークスピア《トロイラスとクレシダ》を始めとする数々の翻訳劇の初演や、《フィガロの結婚》《罪と罰》《お気に召すまま》などを上演した。この頃までにダミーコやモレッリ、ストッパをはじめ、後に映画作品でも重要な協力者となる人々と出会っている。この頃の映画製作は『揺れる大地』のみだが、シチリアの地元民に土地の言葉で撮影され、真のネオリアリスモの一本と高く評価された。
     50年代もミラー《セールスマンの死》《橋からの眺め》チェホフ《三人姉妹》《ワーニャ伯父さん》をはじめ、演劇活動は充実を続けた。映画製作の再開が検討され、幾つもの企画が俎上に挙りつつ、残念ながら消えていった。その中から映画史上最高の女優の一人アンナ・マニャーニの主演で『ベリッシマ』(51)を完成、53年に再び彼女と魅力的な一編『われら女性 第五話:アンナ・マニャーニ』を撮り上げた。翌54年、ヴィスコンティの出自らしさが大きく花開く作品『夏の嵐』を発表、情念の世界を鮮やかな色彩で描いて絶賛を浴びる。12月には満を持してのオペラ演出をスカラ座にてマリア・カラス主演《ヴェスタの巫女》で開始、伝説的な共同作業は《夢遊病の女》(55)《椿姫》(56)へと続く。56年には最晩年のトーマス・マンから直接許可を得て、バレエ《マリオと魔術師》を上演。マルチェロ・マストロヤンニの出世作ともなった『白夜』(57)は、これまでのロケーション中心の撮影とは違い、街の情景すべてをスタジオ内のセットに造り、計算されつくされた照明と音響で、深く内面まで掘り下げたドラマを構成した。

     最も好きな二つの作品の一つと自ら挙げる『若者のすべて』は、58年からの準備期間を経て60年に撮影を開始。その年の秋に公開された。的確な演出と問題意識を絶賛されながらも、当局からの検閲や上映禁止措置などにまたも悩まされた。パリで《哀れ彼女は娼婦》をアラン・ドロンとロミー・シュナイダーで演出すると、62年にそのロミーを『ボッカチオ'70 第三話:前金』に起用し、彼女の新たな魅力と才能を知らしめた。ヴィスコンティ自身をも彷彿とさせる、滅びゆく貴族を描いた傑作『山猫』がカンヌ映画祭でグランプリを受賞した63年には、自ら台本、装置、衣装をも手がけたオペラ《庭園の悪魔》を初演した。クラウディア・カルディナーレを主演にギリシャ悲劇《エレクトラ》に想を得た『熊座の淡き星影』(65)を撮影中、ヘルムート・バーガーとの運命的な出会いをする。次回作シルヴァーナ・マンガーノ主演の『華やかな魔女たち 第一話:疲れ切った魔女』(67)に早速端役ながら起用した。同年にはカミュの『異邦人』も映画化、生きる孤独を突き詰めたかのような作品に仕上げた。

     次第に活動の中心を映画製作に移行させたヴィスコンティは、69年にドイツ三部作の最初の一本『地獄に堕ちた勇者ども』を、ナチズムを正面から取り上げて精力的に製作。70年前後にはライフワークと語り続けていた「失われた時を求めて」の映像化に本腰を入れ始める。最も信頼するスーゾ・チェッキ・ダミーコにフランス語のまま脚本化を進めさせ、フランス各地にロケハンにも出かけていった。シェークスピア、チェホフ、ヴェルディと同様に敬愛する、T・マンの原作を映画化した『ベニスに死す』(71)は、ダーク・ボガードの名演技とも相まって、完璧な映像化と絶賛された。資金問題などで「失われた時を求めて」の映画化が進まぬ中、バヴァリア王の一生を描いた『ルートヴィヒ』(72)を撮影する。完璧を求めて壮大な作品になったため、彼の生前には配給会社に依る無惨な短縮版しか上映されていない。

     『ルートヴィヒ』編集中の72年7月に脳血栓の発作に襲われ、左半身が麻痺し車椅子での活動を余儀なくされてしまう。T・マン「魔の山」「失われた時を求めて」ゼルダ・フィッツジェラルドの伝記映画、の製作を再検討するも最終的に断念。74年に本作『家族の肖像』を、『白夜』以来スタジオのセットで全編を撮り上げ、12月に公開した。リハビリの成果で左手も動くようになった頃に、転んで骨折をしてしまい、再び病状が悪化する。その中で製作を続行した、ダヌンツィオ原作『イノセント』の撮影を終えて、ダビング最中の76年3月17日にローマで死去した。
     かつて彼が愛して夏の休暇を過ごした、ナポリ沖合イスキア島の別荘“ラ・コロンバイア”が、記念館として一般公開されている。

    ■フィルモグラフィ
    【助監督作品】

    トニ(1935)
    ピクニック(1936)
    トスカ(1940)

    【監督作品】

    郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942)
    栄光の日々(ドキュメンタリー)(1945)
    揺れる大地(1948)
    ベリッシマ(1951)
    ある事件についての記録(短編ドキュメンタリー)(1953)
    われら女性 第五話 アンナ・マニャーニ(1953)
    夏の嵐(1954)
    白夜(1957)
    若者のすべて(1960)
    ボッカチオ'70 第三話 前金(1962)
    山猫(1963)
    熊座の淡き星影(1965)
    華やかな魔女たち 第一話 疲れ切った魔女(1967)
    異邦人(1967)
    地獄に堕ちた勇者ども(1969)
    タジオを求めて(TV用短編ドキュメンタリー)(1970)
    ベニスに死す (1971)
    ルートヴィヒ(1972)
    家族の肖像(1974)
    イノセント(1976)

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    キャスト

    スタッフ

    ピエロ・トージとのコラボレーションのファーコート

    フェンディと「家族の肖像」

    コラボレーションのファーコート今回上映される2Kデジタル完全修復版は、イタリア・ローマを代表するラグジュアリーブランド フェンディが2013年9月にミラノ・モンテナポレオーネ通りに新旗艦店をオープンした際の、特別プロジェクトの一環として制作されました。映画界との長年の協力関係に敬意を表したこのプロジェクトでは、本作の修復に加えて、フェルディナンド・チトー・フィロマリーノ監督によるドキュメンタリー『カンバセーション・ピース Scene di Conversazione』の制作、リツォーリ社が編集した書籍の出版も行われ、大きな話題となりました。
    本作においてフェンディは、映画、演劇界で名を馳せる衣装デザイナー ピエロ・トージとのコラボレーションによって、シルヴァーナ・マンガーノが着用した、いくつかの重要なシーンに登場するファーコートを制作しています。

    教授/バート・ランカスター

     1913年11月2日ニューヨーク生 『山猫』と本作の二度に渡り、ヴィスコンティの分身とも言える役柄を演じたランカスターは、ニューヨーク、マンハッタンに北アイルランド移民の貧しい家庭の五人兄弟の四男として生まれた。少年時代から運動神経に恵まれ、奨学金を得てNY大学に入るも中退。幼馴染とアクロバットチームを作り、サーカス団に入った。この時の経験が後に『真紅の盗賊*』(52)や『空中ぶらんこ*』(56)に活かされる。第二次世界大戦中のUSO(米軍慰問団)参加時に演技に興味を持つ。46年ヘミングウェイ原作、ロバート・シオドマク監督『殺人者』でデヴューし、一躍スターの仲間入りを果たす。先見の明がある彼は、48年に早くも自身のプロダクションを設立した。ここでは自身の主演作のみならず、地味で渋い作品も製作し、その一本『マーティ』(55)がオスカー作品、監督、脚本、主演男優を受賞した。
     若い、次世代の監督の作品にも多く出演、特にジョン・フランケンハイマーとは『明日なき十代』(61)『終身犯』(62)『五月の七日間』『大列車作戦』共に(64)『さすらいの大空』(69)と5本を共にする。多くの名女優とも共演、『愛しのシバよ帰れ』(52)のシャーリー・ブース、『バラの刺青』(55)のアンナ・マニャーニ、『地上より永遠に』(53)『旅路』(58)『さすらいの大空』(69)のデボラ・カーとの共演が印象深かった、と後に語っている。正義の主人公ばかりでなく様々な役柄に取り組み、『成功の甘き香り*』(57)のような冷徹な役柄をもこなした。『山猫』に主演して以来、『1900年』(76)などヨーロッパにも活躍の場が広がる。また、政治的、作品的に優れていると判断し、ギャラに関係なく出演を快諾した作品も『ワイルド・アパッチ*』(72)『ダラスの熱い日』(73)『戦場』(78)など何本もある。『エルマー・ガントリー』(60)でオスカー主演男優賞を受賞。94年10月20日、カリフォルニア、センチュリー・シティにて80歳で死去。
     その他の主な作品『真昼の暴動』(47)『私は殺される』(48)『裏切りの街角』(49)『アパッチ*』『ヴェラクルス*』共に(54)『雨を降らす男』(56)『OK牧場の決斗』(57)『深く静かに潜航せよ』(58)『悪魔の弟子*』(59)『許されざる者*』(60)『ニュールンベルグ裁判』(61)『愛の奇跡』(63)『プロフェッショナル』(66)『泳ぐ人』(68)『大空港』(70)『ビッグ・アメリカン』(76)『合衆国最後の日』『ドクター・モローの島』(77)『アトランティック・シティ』(80)『ローカル・ヒーロー』(83)『フィールド・オブ・ドリームス』(89)等(*はプロデュースも)

    ビアンカ・ブルモンティ伯爵夫人/シルヴァーナ・マンガーノ

     1930年4月21日ローマ生 貧しい中で7年間ダンサーの訓練を受けつつ、モデルとして生計を支える。16歳の時にミス・ローマに選ばれて銀幕入りのきっかけを掴んだ。ジュゼッペ・デ・サンティスの『にがい米』(49)で一躍、国際的に注目を浴びる。野性的な官能の魅力と美貌でトップ・スターになったが、徐々に冷たく謎めいた気品ある美しさと演技力で、多くの名匠たちの作品に出演する。ヴィスコンティ作品には『華やかな魔女たち 疲れ切った魔女』『べニスに死す』『ルートヴィヒ - 神々の黄昏』そして本作に出演している。また、惜しくも映画化が断念された「失われた時を求めて」では、ゲルマント公爵夫人オリアーヌ役を想定されていた。ピエル・パオロ・パゾリーニ作品でもひと味違う魅力を見せており、『華やかな魔女たち 月から見た地球』(66)『アポロンの地獄』(67)『テオレマ』(68)『デカメロン』(71)と出演している。
     49年にプロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスと結婚し、4人の子供に恵まれた。このうち、ヴェロニカは俳優として、ラファエラはプロデューサーとして活動を続けている。肺がんのため89年12月16日マドリードにて死去。その他の作品に『人間と狼』(57)『戦争・はだかの兵隊』(59)『五人の札つき娘』(60)『バラバ』「Una vitadifficile」共に(61)「Lo scopone scientifico」(72)『デューン/砂の惑星』(84)『黒い瞳』(87)等がある。

    コンラッド・ヒューベル/ヘルムート・バーガー

     1944年5月29日オーストリア、バート・イシュル生 「悪魔的な狂気、邪悪な性的魅力を秘めている」イメージがある、とヴィスコンティに言わしめたことがあるバーガーは、家業のホテル経営を継ぐ事を厭いロンドンに出る。演技の勉強の学費稼ぎにウェイターとして働き、後にペルージャ大学に籍を置く。64年に『熊座の淡き星影』の撮影現場でヴィスコンティと邂逅。以後、76年のヴィスコンティの死まで、彼のパートナーとして公私を共にした。本作以外のヴィスコンティ作品は『華やかな魔女たち 疲れ切った魔女』の端役、衝撃的な役どころの『地獄に堕ちた勇者ども』、一世一代の名演を残した『ルートヴィヒ』がある。また実現しなかった企画「失われた時を求めて」ではモレルの役に想定されていた。
     ヴィスコンティの死後、精神的な支えを失い徐々に出演作品が減少していく。1998年に過去の様々な出来事を語った自伝「Ich」を発表して話題になった。母親が亡くなる2009年までの約10年間は、故郷のザルツブルグで生活を送る。近年は再び活発な芸能活動を行うようになっている。
     その他『ドリアン・グレイ/美しき肖像』『悲しみの青春』共に(70)『雨のエトランゼ』(71)『愛と哀しみのエリザベス』(75))「La belva col mitra」(77)『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)『サン・ローラン』(14)『俳優、ヘルムート・バーガー』(15)等。

    リエッタ・ブルモンティ/クラウディア・マルサーニ

     1959年2月ケニア・ナイロビ生 本作品でデヴューの後、70年代後半の数年間に数本の出演作品がある。

    ステファーノ/ステファーノ・パトリッツィ

     1950年10月12日フィレンツェ生 『ルートヴィヒ』(72)『コーザ・ノストラ』(73)『アロンサンファン/気高い兄弟』(74)にルッジェーロ・マストロヤンニの編集助手として参加。80年代には演技活動をやめて、広告宣伝会社を立ち上げている。

    ミケーリ(弁護士)/ロモーロ・ヴァッリ

     1925年2月7日エミリア・ロマーニャ生 ヴィスコンティ作品では『ボッカチオ'70』『山猫』『べニスに死す』に出演、舞台でも《十三番目の木》《エグモント》に出演している。
     その他『戦争・はだかの兵隊』(59)『五人の札つき娘』(60)『鞄を持った女』(61)『訪れ』(64)『夕なぎ』『バーバレラ』共に(68)『悲しみの青春』(70)『夕陽のギャングたち』(71)『1900年』(76)『ボビー・ディアフィールド』(77)等に出演する。俳優で演出家でもあったジョルジョ・デ・ルッロは長年のパートナーだった。1980年2月1日ローマにて死去。

    教授の母(回想)/ドミニク・サンダ

     1948年3月11日フランス、パリ生 16歳で結婚するも二年後に離婚。モデルの仕事をしている時に、ロベール・ブレッソンに見出されて69年に『やさしい女』でデヴューする。直ぐに多くの監督たちの作品に出演し、活躍の場をアメリカにも拡げた。
     その他の作品に『初恋』『暗殺の森』『悲しみの青春』いずれも(70)『刑事キャレラ/10+1の追撃』(71)『マッキントッシュの男』(73)『1900年』「水晶の揺籠」共に(76)『ルー・サロメ/善悪の彼岸』『世界が燃えつきる日』共に(77)「船舶ナイト号」(79)『二人の女』(80)「都会のひと部屋」(82)『肉体と財産』(86)『ラテン・アメリカ/光と影の詩』(92)『サン・ローラン』(14)等がある。

    教授の妻(回想)/クラウディア・カルディナーレ

     1938年4月15日チュニジア、チュニス生 『若者のすべて』の兄嫁、『山猫』の野性的な娘アンジェリカ、過去の記憶を断ち切れず苦悩する『熊座の淡き星影』のステラ、とヴィスコンティ作品で様々な役柄を演じているカルディナーレは、17歳の時に、美人コンテストを足がかりに映画界に入る。
     その他の主な作品に「I soliti ignoti いつもの見知らぬ男たち」(58)『暗殺指令』『刑事』共に(59)『汚れなき抱擁』『太陽の誘惑』共に(60)『鞄を持った女』(61)『8½』『ピンクの豹』共に(63)『ブーベの恋人』(64)『プロフェッショナル』(66)『ウエスタン』(68)『ラ・スクムーン』(72)『ナザレのイエス』(77)『フィッツカラルド』(82)「エンリコ四世」(84)「愛と哀しみの絆」(86)「Mayrig」(91)「588 rueParadis」(92)「Le fil」(09)『家族の灯り』(12)等。

    脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ

     1914年7月21日ローマ生 文芸作品からイタリア式喜劇まで、幅広い作品に脚本を提供した。父エミリオ・チェッキは30年代から40年代に多くの脚本をブラゼッティやガローネ、カステラーニらに提供した脚本家。スイスやケンブリッジで学生時代を過ごし英仏語に堪能になる。ローマに戻りジャーナリストをしながら翻訳活動を行う。45年から脚本家としての仕事を開始、46年から2006年公開作品まで60年間に120本以上を提供することになる。演劇評論家シルヴィオ・ダミーコの息子で、音楽学者である夫君フェデーレ・ダミーコとの間に四人の子供がおり、それぞれが演劇や映画の世界で活動を続けている。後に“戦後イタリア最良の脚本家”とまで言われるようになり、その人柄でも多くの人々から敬愛される存在となった。2010年7月31日ローマにて逝去、96歳だった。
     ヴィスコンティとは最も親密でありながら、親しい間柄で使う tu では無く、信頼を込めて尊称の lei で互いに呼び合っていた。『ベリッシマ』『われら女性』『夏の嵐』『白夜』『若者のすべて』『ボッカチオ'70』『山猫』『熊座の淡き星影』『異邦人』『ルートヴィヒ』『イノセント』に参加をしている。

    原案・脚本:エンリコ・メディオーリ

     1925年3月17日パルマ生 ヴィスコンティ作品では『若者のすべて』『山猫』『熊座の淡き星影』『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』『イノセント』に参加している。その他に『鞄を持った女』(61)『高校教師』(72)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)『ココ・シャネル』(08)等がある。

    美術:マリオ・ガルブリア

     1927年5月27日生 歴史を感じさせる建築空間に豊かな室内装飾、本物と見紛う漆喰のテラス。そこから眺められる、すべてローマにある建造物だが、その配置では決して見ることが出来ない、虚構のローマの景観。いずれもガルブリアの見事な仕事の為せる技である。ヴィスコンティ作品では『若者のすべて』『ボッカチオ'70』『山猫』『熊座の淡き星影』『華やかな魔女たち』『異邦人』『イノセント』で美術を担当。舞台でも《橋からの眺め》《天使よ故郷を見よ》《ギボンズ夫人の子供たち》《フィリ・ダルテ》《転落の後に》《昔の日々》の装置を担当した。また71年に「失われた時を求めて」のロケハンに同行し、後に脚本が出版された際には、思い出の文章と写真資料を提供している。2010年3月30日ローマにて死去。

    撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス

     1927年4月24日生 シルヴァーナ・マンガーノ主演『にがい米』(49)等で知られるジュゼッペ・デ・サンティス監督の10歳下の弟。カメラ・オペレーターとして『夜』(61)『シシリーの黒い霧』『太陽はひとりぼっち』『エヴァの匂い』いずれも(62)『8½』「都会を動かす手」共に(63)『魂のジュリエッタ』『華麗なる殺人』共に(65)等に参加した後に、撮影監督として独り立ち。ヴィスコンティ作品では『地獄に堕ちた勇者ども』『ベニスに死す』『イノセント』も担当した。ロージの遺作ともなった『遙かなる帰郷』(97)撮影中の96年6月23日にウクライナで死去した。
    ※パスクァーレとクレジットされている作品もいくつかある

    音楽:フランコ・マンニーノ

     1924年4月24日パレルモ生 ニーノ・ロータ、フランコ・フェラーラと共に作曲家、音楽監督として音楽面でヴィスコンティ作品を支えた一人。シチリアの名門に生まれ、16歳でピアニストとしてデヴュー。オペラや交響曲の作曲も多くあり、指揮者としても高名。ヴィスコンティとは18歳の時に知り合った。携わった作品には『ベリッシマ』『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』『イノセント』。台本、演出をヴィスコンティが手がけた、トーマス・マン原作のバレエ《マリオと魔術師》(56)、オペラ《庭園の悪魔》(63)の音楽も手がけている。本作品の冒頭と最後に使われているのは“チェロとオーケストラのためのコンチェルト”。出来上がったばかりで、まだ出版されていないこの曲を聴いたヴィスコンティが、「次回作(本作)の音楽に使いたい」と希望したと言う。  その他の映画関連ではジョン・ヒューストン『悪魔をやっつけろ』(53)をはじめ、ダミアノ・ダミアニ、リッカルド・フレーダ、アントニオ・ピエトランジェリらの監督作品に音楽を提供した。夫人はヴィスコンティ最愛の妹ウベルタ、娘のニコレッタはヴィスコンティに実の娘のように可愛がられた。2005年2月1日ローマにて死去。

    編集:ルッジェーロ・マストロヤンニ

     1929年11月7日チューリン生 それまでヴィスコンティ作品の編集を手がけていた、マリオ・セランドレイが『華やかな魔女たち』を最後に逝去した後、『異邦人』以降『地獄に堕ちた勇者ども』『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』『イノセント』とヴィスコンティ作品を一手に引き受けている。『魂のジュリエッタ』以降のフェデリコ・フェリーニ作品『サテリコン』(69)『フェリーニのローマ』(72)『アマルコルド』(73)『オーケストラ・リハーサル』(78)『女の都』(80)『そして船は行く』(83)『ジンジャーとフレッド』(86)、フランチェスコ・ロージ『総進撃』(70)『黒い砂漠』(72)『ローマに散る』(76)『エボリ』(79)「三兄弟」(81)『カルメン』(84)も担当。その他に『悪い奴ほど手が白い』(67)『怪奇な恋の物語』(69)『殺人捜査』(70)『労働者階級は天国に入る』(71)「一面で怪物を叩け」(72)「Todo Modo」(76)、M・モニチェリ監督作品等を手がけている。96年9月9日ポメーツィアにて死去。兄と姪は俳優の故マルチェロとキアラ。

    衣装:ヴェーラ・マルツォ

     1931年ミラノ生 ロベルト・ロッセリーニ『ロベレ将軍』(59)をはじめ、『禁じられた恋の島』(62)『ああ結婚』(64)『Mr. ノーボディ』(73)、ザムパ、モニチェリ、ルイジ・コメンチーニ監督等の作品がある。ルチャーノ・パヴァロッティやルッジェーロ・ライモンディ出演オペラの衣装デザインも多く手がけ、ヴィスコンティ演出では《薔薇の騎士》《椿姫》を担当。『山猫』『地獄に堕ちた勇者ども』ではアシスタントとして協力している。

    製作:ジョヴァンニ・ベルトルッチ

     1940年6月24日パルマ生 『イノセント』の製作も担当した。従兄弟ベルナルド・ベルトルッチの『パートナー』(68)『暗殺のオペラ』『暗殺の森』共に(70)『ルナ』(79)の製作も務めている。2005年2月17日ローマにて死去 

    マンガーノの衣装デザイン:ピエロ・トージ

     1927年4月10日フィレンツェ生 衣装のみならず、セット・デコレーションやプロダクション・デザインも手がける。ヴィスコンティとはウンベルト・ティレッリの紹介で、21歳の時に出会う。『ベリッシマ』を皮切りに『夏の嵐』『白夜』『若者のすべて』『ボッカチオ'70』『山猫』『華やかな魔女たち』『異邦人』『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』『イノセント』と多くの作品で、時には脚本執筆段階から参加をして、衣装を手がけている。舞台作品でも《宿屋の女主人》をヴィスコンティと共同で装置・衣装を担当、単独でも《ワーニャ伯父さん》、オペラ《夢遊病の女》《マクベス》の装置と衣装、《哀れ彼女は娼婦》、オペラ《椿姫》《マノン・レスコー》の衣装を担当した。「失われた時を求めて」の脚本出版の際には、多数の衣装スケッチを提供している。
     他の作品に『汚れなき抱擁』(60)『昨日、今日、明日』(63)『世にも怪奇な物語 悪魔の首飾り』(68)『メディア』(69)『愛すれど哀しく』(71)『愛の嵐』(74)『Mr.レディ Mr.マダム』(78)『トラヴィアータ/椿姫』(82)等がある。
     数々の賞にノミネートされ、受賞をしており、アメリカ・アカデミー賞:オスカーには『山猫』『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』『Mr.レディ Mr.マダム』『トラヴィアータ』の5作品でノミネートされ、2014年度の名誉賞を贈られた。2009年と2011年には本国の映画祭で、衣装デザインの回顧展が開かれている。