監督インタビュー

-バシールの強さに興味を引かれ、戯曲に書かれていないことまで 想像をかきたてられたそうですね?

(原作の)芝居を見た瞬間から、そのテーマと狙いを気に入りました。芝居を見ながら映画を想像し、教室や子供たちが頭に浮かびました・・・。感動的で飾り気のない演出も映画の視覚化に役立ちました。アリスらしき役柄は存在しましたが、シモンは存在せず、ストーリー全体を作り直す必要があり、想像の余地があったんです。バシールの移民としての悲劇的なストーリーが本筋でないことも気に入りました。彼を亡命に追い込んだ悲痛な体験を越えるような価値を、物語自体に与えなければなりませんでした。芝居を見ながら、私はバシールの豊かな人物像に感心しました。彼はどんな特徴で、どんな性格なのか、観客に考えさせるために作られた人物ではありません。バシールには彼自身の過去と物語が、映画が始まるずっと前から存在するんです。

-なぜフェラグをバシール役にキャスティングしたのですか?

当初から、ケベックで適役を見つけるのは不可能だと考えていました。物語の内容から、良い俳優の多いフランス人にこだわり、何人か候補はいたのですが、“パリジャン”過ぎてやめました。フェラグを紹介してくれたのは(原作者の)エヴリンです。彼自身、アルジェリア内戦を逃れてきており、役にピッタリでした。彼の一人芝居のスタイルは役柄とは違いましたが、彼の感受性と知性に興味を魅かれ、好きになりました。彼もこの芝居のことをよく知っていて、脚本を読んですぐに、出演を快諾してくれました。

-教室や学校が非常にリアルでした。

映画制作に入る前に、私は数週間かけて小学校を見学しました。美術監督と学校でリサーチを行い、壁の飾りは、実際の学校から集めた子供たちの作品です。これはフィクションですが、私のよく知る人、見たり話したりした人、そういう人々を混ぜた結果、不意に人物が形になって現れます。私にとって映画とは、文字とは違い現実に根差したメディアです。とりわけ、確かな現実を反映した映画においては、“人生”に興味があるのです。

-哀悼についての映画でもありますか?

いえ、むしろ複雑な有機体が存在する学校についての映画です。癒しのプロセスが描かれますが、私が興味あるのは、ある一人の移民と観客との出会いの中に、哀悼のプロセスが生じるということです。いわば“自由電子”のような外国人が哀悼のプロセスを行うことで、学校は悲劇を乗り越えることができるのです。つまり、本作は、移民を社会に溶け込ませる方法への、一つの答えであると考えています。移民とともに生き、すべての経験を共有し、困難を一緒に乗り越えること、それが溶け込むということです。
 もうひとつは、学校での法制度化の問題です。「(子供の)背中に日焼け止めを塗る」ことすら禁止するルールが確立され、その背景となった理由やリスクも承知していますが、結果的に教師、両親、子供でさえ、思いやりや親しみを示すべき場面で慎重になってしまっています。

-シリアスなテーマを扱っていますが、全編にユーモアが感じられます。

人生において、悲劇やドラマが単独で訪れることは多くありません。ものの見方の問題です・・・。本作のユーモアは、淡く現実的です。アルジェリア人のキャラクターの素朴さで、私たちを驚かし笑わせ、カルチャー・ギャップが巧妙に演じられるとき、いつもそこには豊かなユーモアの余地があります。厳密にいえば、ギャグは使われておらず、人生そのものがコミカルなんです。私に言わせれば、全くユーモアのない映画なんて、SFですよ。あり得ない物語です!