身体障害者のセクシュアリティについてのコメディを作るとは大胆な企画ですね。
どこからこんなアイディアを?
深い不公正感からです。身体障害者への人々の見方を変えたかったのです。
彼らにはセクシュアリティなど全くないかのように振舞う人々の暗黙の拒否に、わたしはいつもショックを受けてきました。とはいうものの、セクシュアリティについて語るのは簡単なことではありません。車椅子に乗っていようといまいと、みな同じ問題を抱えています。欲望と愛をどう両立させるのかと言う問題を。
健常者だからと言って、障害のある人より有利というわけじゃない、というのもまた映画のテーマです。そして、私はこれをコメディとして作りたかった。それは、笑いは共通の感覚だし、また、笑いを共有したかったから。

登場人物はみな、世間と密接な関係を持っていますね。
わたしは、手足のあるなしに関係なく、登場人物たちを動きのなかで描きました。
二人の主要登場人物、看護婦のジュリと筋肉の病気で衰弱している気難しいルネは、自分たちが状況を変えられるという事実によって、互いに結びついています。どちらも、実在の人物をモデルにしています。私がよく知っている身体障害者の施設を、自然なセッティングで撮れるように台本を書きました。
一緒に台詞を書いたアンヌ・マリー・カトワは素晴らしい仕事をしてくれました。

大変な撮影条件をつけられたようですが。
何を撮るかによって、技術的な手段を変えていかなければならないということだと思います。プロデューサーのジャック・ファンストンが、アルテの「プチ・カメラ」コレクション用に映画を監督しないかと言ってきたとき、私は即座にOKしました。
軽量で押し付けがましさのないデジタルカメラは、理想の道具でした。撮影装置をいっぱい抱えた、ふつうの撮影部隊が障害者の暮らす施設へやってくるなんて絶対考えられない。だって、たった1本のケーブルが床に這っているだけで、車椅子には危険なことなのです。
それ以上に、映画の中に施設の実際の住人をうつし、中の3人は重要な登場人物を演じている。そんなことはこの超軽量カメラ抜きでは考えることも難しかったでしょう。

この手の技術的な制約のもとで映画を作ったのは初めてですか。
ええ。わたしにとっては、本当に困ったことでした。
私を守ってくれるいつものスタッフや身につけてきた技術の助けなしに、すべてを取り仕切らなければならず、まるで素っ裸にされたように感じました。と同時に、この学習プロセスは、わたしに大きな自由をもたらし、本当に有益でした。
わたしが一番びっくりしたのは、いかにもセットで自由に動き回っているようにみえるプロの俳優が、たった6インチしかカメラが離れていないときでさえ、カメラの存在を感じられないために不安を感じていたということです。逆説的ですが、そのことは彼らの集中に影響を及ぼしませんでした。
反対に、いつもの目印を失って、彼らはセーフティネットなしで演じるようになりました。それは、映画をいっそうリアルにするのに役立ったと思います。

この映画を作ることでみな影響を受けたように見えますね。
多くの俳優とスタッフが物理的な独立が、ときに、きわめて制限されている人々に近づくのが難しいことを知りました。
しかし、信じられないほど自然に、みなすぐに車椅子のことを忘れてしまいました。彼らの間で育った関係は、みんながこの映画を成功させたいと願う特別な理由ともなりました。
(撮影が終わって)最後にばらばらになるのがつらかった。この撮影はわたしたちにヒューマニティについて多くのことを教えてくれました。観客も同じように感じてくれることを願っています。



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