Director's Note ディレクターズノート

『ナポリの隣人』は、ざわめく感情の物語だ。父親と子どもたち、兄弟姉妹たち、はたから見れば平静な人々の間にただよう不穏な感情の物語だ。感情とは、私たちが持つなによりも強く、同時になによりも脆いものであり、常に危険にさらされ、私たちを危険にさらす。愛は、終わってしまえば私たちを救うどころか、さらなる間違いを重ねさせ、不幸に姿を変えて私たちの理性を失わせる。

この物語には、善人も悪人もいない。いるのはただ人間であり、彼らは自らの過ちを糧に成長することもできず、人生が挽回の機会を与えてくれるかのような時にすら、軽率でさらに人を傷つける行動をとってしまう。そこにある愛は、いつも恐れを伴っている。愛されていないのではないかという恐れだけではなく、正しいやり方で人を愛せないのではないか、愛する資格がないのではないかという恐れを伴う。人は愛の欠乏のみならず、愛の深さゆえにも道に迷うが、人と人との関係に均衡を保つ点があるとしても、その均衡点を誰も見つけられない。

『ナポリの隣人』は、誰もがかかえる苦しみを、苦しんでいる者の立場で語る物語だ。私たちとて人ごとではない不幸を描き、声高に叫ぶことはせず無限に寄り添う物語だ。映画は、しばしば残酷で謎に閉ざされた登場人物たちの行動を通じて、それぞれの人物がもつ理由づけを見出そうとする。私と同じ年齢の人物を主人公にすえるのも、私の映画では初めてのことだ。かといって『ナポリの隣人』は、自伝的映画ではない。考え方や感じ方が私たちとは正反対にある誰かを至近距離で見つめることは、その人をより理解する助けになる。それはおそらく、私が私自身のみならず他者を信じようとする行為、意図せずとも弱さゆえに間違いを犯しながらこの困難な時代を生きる行為なのだろう。それでもなお、愛そうとする行為なのだろう。

ジャンニ・アメリオ
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