※作品タイトルについて、劇場公開時の邦題は『』内に表記。未公開作は原題で表記し、そのうち特集上映題・映画祭題がある場合には「」内に表記。
※ピアラ作品との関わりは、本特集で上映される作品タイトルのみの表記。
出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
1943年4月28日パリ生まれ。リセの頃からギター演奏に興じ、イェイェの時代の到来と共に、仲間とバンド「El Toro et les Cyclones」を結成。その後ダニー・マランヌのバンド「Les Fantômes」に移籍。62年には作曲も担当したシングル「Fort Chabrol」をリリース。その歌をフランソワーズ・アルディが「愛の時間」 Le temps de l’amourとタイトルを変えてシングル・リリースするや大ヒットした。
映画との関わりは、69年、ルネ・アリオ監督「Pierre et Paul」のスコアを作曲して以降、73年はジャン=マリー・ペリエ監督「Antoine et Sébastien」で監督の父フランソワ・ペリエと主演し、映画俳優デビュー(スコアも作曲)。以来、「L’important, c’est d’aimer」(74/アンジェイ・ズラウスキ)、「レジスタンス/叛逆」(76/ルルーシュ)といった作品に主演、「Mado」(76/クロード・ソーテ)の好演でセザール賞助演男優賞にもノミネート。『愛よもう一度』(76)と『夢追い』(79)でドヌーヴと共演した他、「イザベル・アジャーニの女泥棒」(77)、『汚れた夢』(78)、ユペール共演「Retour a la bien-aimée」(79)と『勝手に逃げろ/人生』(80)、ナタリー・バイ共演「赤い影」(81/ジャン=ルイ・コモリ)、『私の夜はあなたの昼より美しい』(89)などに出演。『ヴァンドーム広場』(98)ではセザール賞助演男優賞候補、ボネール共演「C’est la vie」(01/ジャン=ピエール・アメリス)でマラケシュ国際映画祭最優秀男優賞受賞。歌手活動も旺盛に続けている。妻はフランソワーズ・アルディ。息子トマは歌手として活躍中。
出演作品:『ポリス』:ルイ=ヴァンサン・マンジャン / 『悪魔の陽の下に』:ドニサン
1948年12月27日フランス中部シャトルー生まれ。12歳の時に受けた演劇プログラムで俳優を志すようになり、16歳でパリに出てジャン=ロラン・コシェの演技コースを受講。65年ロジェ・レナールの短篇「ビートニクと素敵な少年」で映画初出演。舞台でも活躍しながら、以降『暗黒街の二人』(73)などのポラールから、「ナタリー・グランジェ」(72)などのアート作品まで幅広く出演。74年には舞台での演技が評価されてジェラール・フィリップ賞を受賞し、『バルスーズ』でスターの座を獲得。以後、ベルトルッチの『1900年』(76)や、フェレーリの『バイバイ・モンキー』(78)などイタリアの監督たちからも主演依頼を受けると共に、ベルトラン・ブリエ作品にも欠かせない存在で『ハンカチのご用意を』(78)、「料理は冷たくして」(79)、『タキシード』(86)、『メルシー・ラ・ヴィ』(91)、『ダニエラという女』(06)などで怪演を披露。一方、『仮面/死の処方箋』(76)、「最後の女」(77/フェレーリ)、「甘くない砂糖」(79/ジャック・ルフィオ)、「愛していると伝えて」(78/クロード・ミレール)で毎年のようにセザール賞主演男優賞候補となり、80年にはトリュフォーの『終電車』で初受賞し、その名を世界に轟かす。
 ピアラも早くから注目していたが、ようやく80年の「ルル」主演で組むことができ、続く『ポリス』ではベルリン映画祭最優秀男優賞を受賞、その後も『悪魔の陽の下に』(共にセザール賞主演男優賞候補)、最後の「パパと呼ばないで」(95)と、4作に主演し、ピアラ作品の最も重要な俳優の一人となった。
 その後も、コメディから『隣の女』『アメリカの伯父さん』(81)といった名匠の作品で多彩な役をこなし、セザール賞も『ダントン』(82、モントリオール映画祭男優賞受賞)、「Les Comperes」(83/フランシス・ヴェベール)、『フォート・サガン』(84)、『カミーユ・クローデル』(88)、『美しすぎて』(89)、『愛の報酬/シャベール大佐の帰還』(94)などでノミネートされ、『シラノ・ド・ベルジュラック』(88/カンヌ映画祭最優秀男優賞を受賞/アカデミー賞主演男優賞候補)で再び受賞。この功績により88年レジョン・ドヌール勲章を拝受。90年『グリーン・カード』でゴールデン・グローブ主演男優賞を受賞。
一方、84年にモリエール作「Le Tartuffe」で監督デビューし、99年は『ポリス』の第2助監督でもあったフレデリック・オビュルタンと共に 長篇「Un pont entre deux rives」を監督し、06年は「Paris, je t'aime」の挿話を共同監督した。
2013年、高額所得者への税金を不服として、ロシアに移住。映画もドミニク・ストロス=カーンを演じるアベル・フェラーラ監督「Welcome to New York」、オビュルタン監督作、娘ロクサーヌ(92年生)の母カリーヌ・シラの監督作など注目作が絶えない。
出演作品:『愛の記念に』:シュザンヌ / 『ポリス』:リディ / 『悪魔の陽の下に』:ムシェット
1967年5月31日ピュイ=ド=ドーム県クレルモン・フェラン生まれ。モルモン教の家庭で、11兄弟という大家族であったことから、家計を助けることもあってアルバイトとして『カンニングIQ=0/アルバイト作戦』『ラ・ブーム2』(82)にエキストラ出演。その後、『愛の記念に』のヒロインに抜擢、翌年のセザール賞有望若手女優賞を受賞。ピアラは『ポリス』『悪魔の陽の下に』で立て続けに起用した。また、ヴァルダの『冬の旅』(85)でも絶賛され、セザール賞主演女優賞を始め、全米映画批評家賞など多数の演技賞を受賞した。
以後、「ピューリタンの女」(86/ジャック・ドワイヨン)、「イノセンツ」(87/アンドレ・テシネ)、『僕と一緒に幾日か』(88)、『仕立て屋の恋』(89)、『黄昏に瞳やさしく』(90)、『プラハ』(91)、『ジャンヌ・ダルク』(94)、『沈黙の女』(95/ヴェネツィア映画祭最優秀女優賞)、『嘘の心』(99)、『イースト/ウェスト 遥かなる祖国』(00)、『マドモワゼル』(01)、『灯台守の恋』(04)、『親密すぎるうちあけ話』(04)など、出演毎に見事な演技を披露。
一方、ダウン症の姉との生活を追ったドキュメンタリー『彼女の名はサビーヌ』(07)で監督にも挑戦して注目を集め、セザール賞ドキュメンタリー賞にもノミネート。続いてウィリアム・ハート主演の「J’enrage de son absence」(12)で劇映画にも挑戦し、カンヌ映画祭監督週間に出品した。 なお、ハートとの間に娘ジャンヌ・ボネール=ハート(94年生)、『アメリ』の脚本家ギヨーム・ロランとの間にアデル・ロラン(04年生)をもうけている。
出演作品:『ポリス』:ノリア
1966年11月17日パリ生まれ。本姓はモピュで、『ポリス』にクレマン役で出演したシルヴァン・モピュ Sylvain Maupuは3歳年上の兄。9歳で両親が離婚し、母方に付くが、生活費の足しにと探したアルバイトでモデル・エージェントを見つけて登録。これが『ラ・ブーム』のオーディションに通り、700人の応募から見事合格し、ヒロインのヴィックを演じる。81年2月に公開されるや驚異的の大ヒットとなり国民的アイドルとなるが、プロを目指してフロランの演技コースでフランシス・ユステールのクラスを受講。続編『ラ・ブーム2』(82)もヒットとなり、この演技でセザール賞が有望若手俳優という部門を新設して1回目の受賞者となる。以来、大作『フォート・サガン』(83)ではドヌーヴ、ドパルデュー、『恋にくちづけ』(84)ではベルモンドをという大物と共演し、アジャーニに変わって出演した『狂気の愛』(84)では恩師ユステールと共演。続く『ポリス』ではドパルデューの希望で再共演し、アイドルを完全脱皮。
その後、『地獄に堕ちて』(86)、「愛、革命に生きて」『スチューデント』(88)、デュトロン共演『私の夜はあなたの昼より美しい』(89)、『熱砂に抱かれて』「愛人日記」(91)、『恋人たちのアパルトマン』(93)、『ソフィー・マルソーの三銃士』(94)、『ブレイブハート』『愛のめぐり逢い』(95)、『アンナ・カレーニナ』『ファイヤーライト』『女優マルキーズ』(97)、『真夏の夜の夢』『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』(99)、「フィデリテ」(00)、『ルーヴルの怪人』(01)、『あなたにも欠ける恋愛小説』(03)、「アントニー・ジマー」(05)、「過去から来た女」(07)、「レディ・エージェント」(08)、『マーガレットと素敵な何か』「ダブルフェイス 秘めた女」(09)などに出演。また、監督、作家としても活動している。
出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
1973年4月29日パリ生まれ。パスカル・トマに見出され、『夫たち、妻たち、恋人たち』(89)の娘役の一人として映画デビュー。これに注目したピアラは同作で彼女と一緒に出演していたレズリー・アズライ(アドリーヌ役)と共に本作に起用。この好演により、セザール賞の有望若手女優賞にノミネートされると共に、注目の女優に送られるシュザンヌ・ビアンケッティ賞に選出される。一時、学業に戻っていたが、ふたたび女優としての活動をはじめ、『しあわせはどこに』(95)、マリー・トランティニャン主演『絹の叫び』(96)などに出演し、「私は恋愛恐怖症」(97/ロランス・フェレイラ・バルボザ)での好演でミシェル・シモン賞にノミネートされた。オリヴィエ・アサイヤスの文芸作「感傷的な運命」(00)にも登場。近年は舞台などでも活躍している。
 
出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
1922年12月13日パリ生まれ。第二次大戦後、寄席芸人として活動。次第に映画の役を得るようになり、『赤と黒』(54)、「チャタレイ夫人の恋人」(55)、『スパイ』(57)といった作品に次々登場し、『モンパルナスの灯』(58)にはレオポルド・ズボロフスキー役を演じた。一方、50年代より舞台でも活動。80年代は教える側にまわるが、本作で10年振りに映画出演し、セザール賞助演男優賞にノミネート。そのほか主な出演作として、『おかしなおかしな訪問者』(93)、ソフィー・マルソー主演『恋人たちのアパルトマン』(93)、また短篇「Le mère」(95)ではナタリー・バイの父役を演じた。1998年2月1日メゾン・ラフィットの病院で死去。
出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
1950年9月25日フランス中部アンドル県ル・ブラン生まれ。15歳よりクロード・ヴィリオの演技クラスを受講。ルイ・ド・フュネス主演『グランド・ヴァカンス』(67)の学生役を得て映画初出演。主な出演作は、『雪どけ』(71)、『夕なぎ』(72/息子役)や、アラン・ドロン主演作『燃えつきた納屋』(73)、「未知の戦場/ヨーロッパ198X」(79)と「ポーカー・フェイス」(80)、クロード・ルルーシュの「マリアージュ」(74)と『夢追い』(79)、ミシェル・セロー共演「二つの影の底に」(80)『哀しみのスパイ』(94)、『私の男』(96)、「コナン大尉」(96)、「肉体の学校」(98)、「エンジェル」(01)など。「記憶の森」(01/ザブー・ブレトマン)ではセザール賞助演男優賞を受賞。また、クロード・シャブロル『悪の華』(03)と『石の微笑』(04)にも連続出演している。本作ではテオ役を好演し、劇中ピアラとの共作による歌も披露してセザール賞助演男優賞にノミネート。
 
出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
10月16日パリ郊外ブローニュ=ビヤンクール生まれ。父アルベールは著名な物理学者。86年からフロランの演劇コースで演技を学び、89年よりフランシス・ユステールの自由クラスを受講し、同年ルネ・フェレの「Baptême」で映画初出演。本作では当初画家のモデル役を得るが、その力量がピアラに認められキャシー役に昇格した。本作での好演によりセザール賞有望若手女優賞の候補となり、ミシェル・シモン賞を受賞。翌年もクリスチャン・ヴァンサン監督「Beau fixe」(92)で好演し、セザール同賞の候補となり、ロミー・シュナイダー賞を受賞。『ミナ』(93)もセザール同賞候補となり、95年ミス・ボールガール賞を受賞するなど、着実に若手演技派の地位を確立する。そのほかの出演作は、『ジェファソン・イン・パリ』(94)にラファイエット夫人役で登場した他、『カストラート』、歌も披露した『恋人たちのポートレート』(95)、「正装のご用意を」(96)、クリスチャン・ベール共演「Metroland」(97)、「ねじれた愛」(98)、『葡萄酒色の人生 ロートレック』(98)、『モディリアーニ 真実の愛』(04)など。また、『ずっとあなたを愛している』(08)での熱演でセザール賞助演女優賞を受賞。ラウル・ルイスは『見出された時』(99)以来、「夢の中の愛の闘い」(00)、「その日」(03)、「La maison Nucingen」(08)で主演させ、亡き後に彼の妻バレリア・サルミエントが完成させた『皇帝と公爵』(12)にもゲスト出演している。


脚本:『ポリス』、『悪魔の陽の下に』
22歳の時、『愛の記念に』に製作管理として参加。その後、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』では脚本を担当。91年にはピアラとの間に息子アントワーヌをもうけ、その息子とドパルデューの共演による「パパと呼ばないで」(94)の脚本と台詞をピアラと共同執筆。ピアラの死後、シルヴィー・ピアラと名乗り、製作会社Warsoを興して、ピアラの遺稿を基にした「Meurtrières」をパトリック・グランペレの監督で製作。以後『ぜんぶ、フィデルのせい』(06)、「キューブ・ホスピタル」(08)、『最高の人生をあなたと』(11)、「理性をなくすほど」(12)、「La reliseuse」(13/ギヨーム・ニクルー)などを製作している。
 
編集:『愛の記念に』、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』、『ヴァン・ゴッホ』
出演:『愛の記念に』、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』
1946年1月25日生まれ。トリュフォーの『野性の少年』(69)で編集助手として付き、『家庭』(70)の後、『恋のエチュード』(71)で編集監督に昇格。以来、トリュフォーの『私のように美しい娘』(72)、『アメリカの夜』(73)、『アデルの恋の物語』(75)、『トリュフォーの思春期』(76)はもとより、『スウィート・ムービー』(74)、「町のひと部屋」(81/ドゥミ)、「人生はロマン」(83/レネ)など次々担当。ピアラとは「ルル」(80)で組み始めるが、『愛の記念に』(83)の仕事の合間を縫ってトリュフォーの遺作『日曜日が待ち遠しい!』(83)にギャング役で出演。85年は『ポリス』(セザール編集賞候補)に編集と共にデデ役で出演し、ピアラも出演したブリジット・ルアン監督・主演の短篇「Grosse」の共同脚本を担当。『悪魔の陽の下に』(セザール編集賞候補)には編集と共にガレという大役を演じた。翌年、マリリン・カント、ルアンらと共演した短篇「Quand je serai jeune」を監督し、『ポリス』の脚本家カトリーヌ・ブレイヤの『ヴァージン・スピリト』の編集も担当。その後も『ヴァン・ゴッホ』(91/無記名)、『ギターはもう聴こえない』(91)、『愛の誕生』(93)、「お気に入りの息子」(94)、『ネネットとボニ』(96)、「マリオン」『ニノの空』(97)、『倦怠』(98)、『レディ・チャタレイ』(06)、『灼熱の恋』(11)など多数の作品を手がけている。
助監督・配役・出演:『愛の記念に』、『悪魔の陽の下に』
1957年12月19日ヴェルサイユ生まれ。ピアラの「ルル」(80)に助監督として参加。『愛の記念に』(83)では助監督を務めると共に、ジャン=ピエール役で出演した。『悪魔の陽の下に』ではキャスティングを担当。93年、自伝的内容の長篇監督作でのちにセザール賞作品賞、第一回監督作品賞をW受賞する『野性の夜に』に取り組み、話題を集めるが、完成後AIDSによる闘病生活を始め、1993年3月5日地元ヴェルサイユの病院で死去。
 
衣装:『ヴァン・ゴッホ』
1979年コスタ=ガヴラスの「Clair de femme」で衣装デザイナーとなり、同監督の「ハンナK.」(83)、「La petite apocalypse」(93)、「アーメン」(02)、コリーヌ・セローの「ファンタスティック・カーニバル/フランス式CMの作り方」(82)、『赤ちゃんに乾杯!』(85)を始め、『カウチ・イン・ニューヨーク』(96)、「ねじれた愛」(98)などをデザインし、「サン・シール」(00)でセザール賞衣装賞を受賞した。また、TVの文芸作品などや時代物も多数手がけ、特に人気シリーズ『王立警察 ニコラ・ル・フロック』(09-)でも高く評価され、賞などを受賞している。
美術:『悪魔の陽の下に』、『ヴァン・ゴッホ』
1984年ヤニック・ベロンの「ぺてん」で美術監督助手として映画界入り。当初予定していたデザイナーの都合がつかず、『悪魔の陽の下に』(87)で美術監督に抜擢される。続く本作では、前作では石切工役で登場した大工主任のフィリップ・パリュと共にセザール賞美術賞にノミネート。それまで発音近い綴りVischkofで活動していたが、『絹の叫び』(96)より本名の綴りに戻す。以後、「肉体の学校」(98)、「故郷への旅」『オーギュスタン 恋々風塵』(99)、「感傷的な運命」(00/セザール賞候補)、『私の妻はシャルロット・ゲンズブール』(02)、『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(03)、『フレンチなしあわせのみつけ方』(04)、「ラブ・クライム」(10)などを手がける。ピアラ亡き後ピアラのスタッフたちと組むようになったフランソワ・オゾンと『ふたりの5つの分かれ路』(04)、『ぼくを葬る』(05)、『エンジェル』(07)、『ムースの隠遁』『Ricky リッキー』(09)、『しあわせの雨傘』(10)でコラボレーションを続けた。『マリー・アントワネットに別れを告げて』(12)でセザール賞美術賞を受賞した際は、美術監督デビューさせたピアラへ謝辞を捧げた。
 
脚本・美術:『愛の記念に』
ピアラの親友クロード・ベリの妹。ピアラの「裸の幼年時代」「ルル」のシナリオに参加し、『愛の記念に』では脚本と台詞に加えて美術も担当。その後、編集監督に転身し、『チャオ・パンタン』(83)、『愛と宿命の泉』(86)など。兄の「Uranus」(90)、『ジェルミナル』(93)や、ガレル『夜風の匂い』(99)、『白と黒の恋人たち』(01)、『恋人たちの失われた革命』(04)、『愛の残像』(08)、「La jalousie」(13)といった作品に参加。
製作:『愛の記念に』、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』、『ヴァン・ゴッホ』
1941年4月7日生まれ。レコード会社エラートの主任からゴーモンの主任となり、『魔笛』(75)の配給と『さよならの微笑』(75)で成功。、『ノスフェラトゥ』(79)、『女の都』(80)、『ノスタルジア』(83)といったアート作品や、『ドン・ジョヴァンニ』(79)、『カルメン』(83)といったオペラ映画などを手がける。「ルル」『愛の記念に』『ポリス』をゴーモンで製作させ、『ヴァン・ゴッホ』を自身の映画会社Erato Filmsで製作するなどピアラ作品のプロデュースに最も力を入れた。ゴーモンを離れてからは、サシャ・ギトリ作品のリメイク「Désiré」(96)、『カドリーユ』「Le comédian」(97)や、コメディ・フランセーズ上演のモリエール作品の全作収録企画などにも携わる。ユニフランスの代表としても活躍し、03年2月はシャブロルの『悪の華』上映のためベルリン映画祭に参加したが、急激な温度差により心臓発作を興し、2月11日に急死した。