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レスト・デュ・クールと呼ばれることが多い。1985年10月、喜劇役者コリーシュ(Coluchu:1986年6月19日事故死)によって始められた支援運動。
毎年12月13日頃から冬場の100日間にわたって食料援助を行なう。当初は温かいスープなどの給食を行なっていたが、'94年からは乾燥食料や野菜などの素材の支給も行なっている。全国に1,860ある支部やセンターで総計6,100万食を延べ54万人に支給する。この恩恵を受ける人々の2/3は再就職促進最低賃金(RMI)以下の収入しかないという。この運動には、377,000人から1億3,700万フランの寄付が寄せられている。
コリーシュ亡き後は、マリー・デュマ(Marie Dumas)が代表となって活動している。現在では「心のトラック」「心の中継地」「心の庭」「ベイビー中継地」といった組織もできて、おむつや哺乳ビン、ベビーカー、その他、生活必需品も支給している。

トラックと犬
走る車の中で、私は、気に入ったトラックを、自分の手を映しながら、あるいは手を映さずに撮影していた。そのとき、運転担当のレオ、マニュエル、マリーナ、そしてディディエは私の提案を聞いてくれた。いや、命令というべきか。
「速度を落として、あの小型車二台は先に行かせて、興味がないんだから。アクセル踏んで!トラックを追い越して!追い越すときに速度を落として、ほら、早く、タンク車を見たわ!」
ディジョンから帰るときに、美しいトレ−ラ−の後をつけて運転していたのはマージョーレーヌだった。アンジェの市役所からの道で、私が郵便輸送のトラックに描かれていた目を見つけた時の運転手さん、そして私が道で片耳が下がっていて、首に赤いボクシンググローブを掛けた犬を見つけたときに運転していたのはファニーだった。多くのドライバーたちに深謝。
(アニエス・ヴァルダ)

撮影、編集、その他
本作品の製作会社のシネ・タマリスは私がある程度発言権を持っており、幸運にも自由裁量 を認めてくれたお陰で、まず最初に二週間撮影して、すぐ編集へと移ることができた。その一方で、新しいロケ地を探し続け、また撮影し、編集していくという方法をとった。
そうこうしているうちに、ナレーションの部分のテキストが出来あがってゆき、言葉が新たなアイデアを生み、新しいイメージを要求した。新しい情報が出てくると、新たなコンタクト先も見つかった。そして、旅に出るといった具合だった。やがて最後の編集、音楽、ミキシング、そして仕上げの作業となった。私が定義する<シネエクリチュール>という考え方は、ドキュメンタリーの方がぴったりする。私が一人で、あるいはチームで体験した出会いや、また撮影したショット、時には共鳴し、時には拮抗する編集のスタイル、ナレーションの言葉遣い、音楽の選択など。これらすべてが、単に脚本書き、演出、ナレ−ションの言い回しというわけではなく、私にとってすべてが偶然との出会いであり、私がよく話題にする“シネエクリチュール”なのだ。
(アニエス・ヴァルダ)
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. 技 法
撮影チームの作業はソニーのデジタル・ビデオ、SONY DV CAM DSR 300とSENNHEISER416マイクを駆使した。アニエスが、ソニーのミニDVキャメラ(MINI DV SONY DCRTRV 900 E 3CCD)とECM-77Bマイクをキャメラにつなげて使った(ケーブル・コードが頻繁に画面 に映っている!)。全体のうち15分はアニエスが一人で撮った。
編集はAVID X Pressを使用した。

撮 影
撮影は、北フランス、ボース、ジュラ、プロヴァンス、ピレネー地方、オリエンターレ、そしてパリとパリ郊外で行なわれた。1999年9月から2000年4月の間にチームで29日間撮影し、一回のロケにだいたい4日から7日間かけた。その後、アニエスは一人で旅を続け、たいがい2〜3時間、とりわけ市場が終わる2時から4時ころまで撮影した。

幸運な偶然
路上に捨てられたいたモノや、ゴミ拾いの人たちがゴミ箱で見つけたモノなどは一切が本物で、私たちがヤラセで撮影したものはない。
「掘り出しもの」のお店に掛かっていた落穂拾いの絵をまったくの偶然から見つけたときは本当に幸運を喜んだ。もちろん、早速撮影した。
オリーブの森にあるホテル。オーナーは50年前からのアニエスの知り合いだ。彼は人探しの手助けをして、カフェ・デュ・サントルで友人たちに紹介してくれ、そして、残り物のフルーツを探すのに最適な場所を知っている、作物拾いのロベールを紹介してくれた。
郊外の舗道で余りモノを撮影した帰り道のことだったが、アニエスが立ち寄った蚤の市で、ちょうど男がテレビを捨て、別 の男が壊していた。もしこの場に着くのが10分遅かったら、このシーンは映画の中にはなかった。

その後...
打ち捨てられていたぶどう園は11月1日以降(収穫の許可が下りる)、歌の好きな 一家が収穫をしていたアプトの丘にあったぶどう園はその後掘り起こされている。
アニエスが自宅の天井に見つけ、大喜びで撮影したカビは消えてしまった。
屋上のテラスは修理され、天井は塗り替えられた。 アニエスは撮影の後、白髪を染めた。

針のない時計はまだしっかり動き、時は流れる。
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