![]() |
![]() |
![]() |
. | ![]() |
レスト・デュ・クールと呼ばれることが多い。1985年10月、喜劇役者コリーシュ(Coluchu:1986年6月19日事故死)によって始められた支援運動。 毎年12月13日頃から冬場の100日間にわたって食料援助を行なう。当初は温かいスープなどの給食を行なっていたが、'94年からは乾燥食料や野菜などの素材の支給も行なっている。全国に1,860ある支部やセンターで総計6,100万食を延べ54万人に支給する。この恩恵を受ける人々の2/3は再就職促進最低賃金(RMI)以下の収入しかないという。この運動には、377,000人から1億3,700万フランの寄付が寄せられている。 コリーシュ亡き後は、マリー・デュマ(Marie Dumas)が代表となって活動している。現在では「心のトラック」「心の中継地」「心の庭」「ベイビー中継地」といった組織もできて、おむつや哺乳ビン、ベビーカー、その他、生活必需品も支給している。 |
||
トラックと犬 | ||
|
||
![]() |
撮影、編集、その他 | |
|
![]() |
![]() |
. | 技 法 |
撮影チームの作業はソニーのデジタル・ビデオ、SONY
DV CAM DSR 300とSENNHEISER416マイクを駆使した。アニエスが、ソニーのミニDVキャメラ(MINI
DV SONY DCRTRV 900 E 3CCD)とECM-77Bマイクをキャメラにつなげて使った(ケーブル・コードが頻繁に画面
に映っている!)。全体のうち15分はアニエスが一人で撮った。 編集はAVID X Pressを使用した。 |
||
撮 影 | ||
撮影は、北フランス、ボース、ジュラ、プロヴァンス、ピレネー地方、オリエンターレ、そしてパリとパリ郊外で行なわれた。1999年9月から2000年4月の間にチームで29日間撮影し、一回のロケにだいたい4日から7日間かけた。その後、アニエスは一人で旅を続け、たいがい2〜3時間、とりわけ市場が終わる2時から4時ころまで撮影した。 |
||
幸運な偶然 | ||
路上に捨てられたいたモノや、ゴミ拾いの人たちがゴミ箱で見つけたモノなどは一切が本物で、私たちがヤラセで撮影したものはない。 「掘り出しもの」のお店に掛かっていた落穂拾いの絵をまったくの偶然から見つけたときは本当に幸運を喜んだ。もちろん、早速撮影した。 オリーブの森にあるホテル。オーナーは50年前からのアニエスの知り合いだ。彼は人探しの手助けをして、カフェ・デュ・サントルで友人たちに紹介してくれ、そして、残り物のフルーツを探すのに最適な場所を知っている、作物拾いのロベールを紹介してくれた。 郊外の舗道で余りモノを撮影した帰り道のことだったが、アニエスが立ち寄った蚤の市で、ちょうど男がテレビを捨て、別 の男が壊していた。もしこの場に着くのが10分遅かったら、このシーンは映画の中にはなかった。 |
||
その後... | ||
打ち捨てられていたぶどう園は11月1日以降(収穫の許可が下りる)、歌の好きな 一家が収穫をしていたアプトの丘にあったぶどう園はその後掘り起こされている。 アニエスが自宅の天井に見つけ、大喜びで撮影したカビは消えてしまった。 屋上のテラスは修理され、天井は塗り替えられた。 アニエスは撮影の後、白髪を染めた。 針のない時計はまだしっかり動き、時は流れる。 |
![]() |