最初の人間

ディレクター



監督・脚本 ジャンニ・アメリオ

1945年イタリア・カラブリア地方の小さな村に生まれる。2歳の誕生日を迎える前に、当時20歳だった父が家族を残して出奔。以来祖母に育てられる。毎週の楽しみは祖母の連れて行ってくれる映画だったという。大学に進学し哲学を学んだもののドロップアウト。映画監督の夢を追って、ローマに移り、ヴィットリオ・デ・シーカのもとで働き始める。1970年にTV作品「LA FINE DEL GIOCO」の監督を務めたのを皮切りに、『1900年』の撮影中のベルトルッチを追ったドキュメンタリー「BERTOLUCCI SECONDO IL CINEMA」(‘75)などを撮る。1982年には、初めての長編映画で、ジャン=ルイ・トランティニャンを主役に迎えた『COLPIRE AL CUORE』を完成させる。続いて、死刑囚と裁判官の関係を軸に、人間の尊厳を問いかける『宣告』(’90)では、米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされる。孤児院へ向かう幼い姉妹と、その二人を送り届ける憲兵の旅を描いた『小さな旅人』(‘92)では、カンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞し、『LAMERICA』(’94)では、ヴェネチア国際映画祭・金のオゼッラ賞を受賞する。1998年には、時代に翻弄される兄弟の絆を描いた『いつか来た道』でヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞。2004年には、『家の鍵』でヴェネチア国際映画祭で三部門の賞を受賞、米アカデミー賞外国語映画賞のイタリア代表作品に選出されるなど、国際的な受賞歴を誇る。長編は、本作品で9作品と寡作だが、ヨーロッパ映画賞最優秀作品賞を3度にわたって受賞しているただ一人の監督であり、イタリアのみならずヨーロッパを代表する名匠。

長編作品

1982  『COLPIRE AL CUORE (BLOW TO THE HEART)』
1989  『I RAGAZZI DI VIA PANISPERNA (THE BOYS OF VIA PANISPERNA)』
1990  『宣告』
1992  『小さな旅人』
1994  『LAMERICA』
1998  『いつか来た道』
2004  『家の鍵』
2006  『LA STELLA CHE NON C’E』

ディレクターズ・ノート  ―アルベール・カミュについて―
監督 ジャンニ・アメリオ

 1956年頃、市民への停戦の呼びかけに失敗したアルベール・カミュは、その後アルジェリア問題について公に語ることをやめた。次のような言葉を残して。
「私は2つの過激派の陣営のどちらにも参加できない、(…)人々をアルジェリアの状況についての己の立場にさらに固執させるだけの、すでに憎悪と偏狭な派閥心に毒されたフランスを、さらに分断するだけのこの果てしない議論に加わらないと決めた」
1930年代以来、カミュは植民地的圧政と先住民の貧困を弾劾し、心情的には非植民地主義者でした。自分たちヨーロッパ系のピエ・ノワール(アルジェリアに居たヨーロッパ系植民者)の人々の避けられない出国を予期していたらしく、彼はフランスとアルジェリアが近い将来“離婚”によって引き裂かれるだろうと信じていた。いわゆるフランスとアルジェリアの急進的な反植民地主義者たちは、彼を苦々しく非難しました。その一方、タカ派は、カミュは独立を望む裏切り者だと烙印を押した。
その後、カミュはただ一度、沈黙を破る、1957年10月ストックホルムのノーベル賞受賞式後の記者会見で。それはまたもや、大きな論争を呼び起こした。カミュを中傷する者は、彼の言葉を捻じ曲げ、ワン・フレーズに落とし込み、スローガンのように繰り返した。「正義よりも母」。このフレーズを自分の論理の為に盗用するか、あるいはより暴力的に彼を非難するために使うかのどちらかだった。
この時代、カミュはすでに「最初の人間」を書き始めていた。この作品は、彼にとって、教養小説であった。カミュ自身の原点であるアルジェリアと、戦争の苦しみ。そして、自身の家族への忠誠心、先住民への正義について書かれている。ある意味、これは彼への攻撃に対する反論であり、ピエ・ノワールと言われる裕福で強欲な定住者たちの中にも、非常に貧しくして生まれたけども、人間性のある人々もいるのだというメッセージも込められている。
アルベール・カミュは、ピエ・ノワールであれアルジェリア人であれ、双方との距離を保ちつつ、アルジェリアという土地に対する親近感と、異国の地であるという疎外感を感じていた。おそらく、これはとても現代的な条件である。故郷にあって流浪者であるということ。土地に根差して生きる感覚と、ここでもなく、またあちらでもないという感覚を持つということ。
彼の文章は二つの視点の交点だ。ここは元々自分たちの土地であったと主張するアルジェリアのイスラム教徒と、ここに生まれ育ったのだから、ここは自分たちの土地だと考えるアルジェリア生まれのフランス人。この二重性は我々の時代の
衝突や、社会に密接にかかわっているのだ。
「最初の人間」の脚色は原作から取られた1950年代に先立つシークエンスを主に描く。しかし、1957年、この物語における現在、そしてほとんど小説に書かれていない、おそらくこの小説が未完だからだが、その時点についても状況やセリフを描くために我々は幸運にも、カミュの家族の記録に接することができた。私たちの望みは、不安定な隘路に立つ我々の語り手にして主人公にアルベール・カミュの思索と行動の基盤をあたえることだ。
戦争の予感が主人公ジャックの視点のベースである。彼は死刑を宣告された幾人ものアルジェリアのイスラム教徒を救うために尽力を惜しまなかった。彼はアルジェリアの独立に対して、明確な立場を取らなかった。深く故郷を愛し、FLN、フランス軍の双方による暴力を収めたいと、彼は微妙な位置を保っていた。武力だけが歴史を変えると信じる人々に対し、彼は、昨日の犯罪は今日の犯罪を認めも裁きもしないと言う。彼は市民を標的にした威嚇行為は、通常の政治的な武器ではないが、長い目で見れば、本当の政治的な戦場を破壊するものであると信じていた。
映画化に当たって、私がアルベール・カミュと同様の立場を取ることが重要だったのです。今なお、自身に深く刻まれた戦争の記憶を抱えている人々たちの懊悩が、正確に表現されている映画を作りたかったのです。

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